脱会者の声4
スピリチュアリズムに導かれて
――人生をかけて“真の自由”を得る (元・統一教会会員)
60年程前のことになりますが、私は統一教会に入り、献身しました。当時の私は、看護師としての人生をスタートさせて2年目でしたが、生きる意味を模索していました。そんな時、“この地上に理想世界を造る”という教えに惹かれて教会に通い始め、献身という道を歩むことになりました。23歳でした。
私が入信した1960年代の統一教会は、まだ日本での伝道が始まったばかりで、霊感商法とか高額献金、先祖解怨などは行われておらず、また教祖やその家族に関する醜聞も聞こえてこない時代でした。
献身してからホームでの集団生活が始まりました。そこは、すべてが規制されていて、自由は全くありませんでした。極端に貧しい食事、少ない睡眠時間、いつも疲れていて力が湧きませんでした。辛くても苦しくても、誰にも相談することはできません。ホームとは名ばかりで、仲間に対する信頼や心の交流というものが感じられないのです。ひたすら上位者に従う生活は、私にとっては苦行でしかありませんでした。
その後、統一教会の中の医療者のグループに移り、看護師として働きました。統一教会のクリニックですから、運営方針は“教団の為・万物復帰の為“であり、社会常識・医療倫理など無視されていました。私は心が痛みましたが、上位者の言うことは絶対です。あまりの辛さに逃亡を試みましが、途中で断念。あれもダメ、これもダメとなり、最後にはホームの一室に閉じこもるようになりました。統一教会の中に身を置いてはいましたが、引きこもって一人になることで、徐々に冷静になり、自分を取り戻すことができました。
私は、教団には不信感を抱いていましたが、神の存在は信じることができました。ですから、一人になって冷静に考えることで、「教団を去ることは、神様を裏切ることではない」との思いに至り、脱会を決意しました。統一教会に入信してから、10年の歳月が経っていました。
脱会してからは失った生活基盤を立て直すべく、一心に仕事に打ち込みました。看護師をしながら両親を看取り、一息ついた頃、若い時に求めてきた、「人間とは? 生きる意味は? 神とは?」という問いの答えを得たいという思いが募ってきました。
宗教アレルギーになっていた私は、宗教ではなく、精神世界へ関心を向けるようになりました。さまざまな本を読んだり、セミナーで学んだりしました。しかし、私が求める答えはなく、虚しさを抱えて日々を送る中で、スピリチュアリズムに出会いました。
スピリチュアリズムを知った私の魂は、水を得た魚のように生き返りました。『シルバーバーチの霊訓』をむさぼるように読みました。そこには、私が長い間、求め続けてきた真理のすべてがあったのです。私は、驚き、感動し、喜びの涙を流しました。
私の人生は一変しました。霊的真理を知った私は、「人々に奉仕したい!スピリチュアリズムに貢献したい!」と、心の底から思うようになりました。その時から、スピリチュアリズム普及会とご縁をいただき、今日に至っています。
私は、統一教会という間違った宗教に身を置き、間違った教義に縛られて、悩み苦しむという体験をしてきました。それは、未熟な私が、スピリチュアリズムという本物の宗教に出会うために必要な道であったと思っています。人生の終盤を迎えた私は、最高次元の霊的真理を手に、希望に満ちた日々を歩んでいます。
川端雅子